赤沼篤夫院長(東京大学医学部解剖学教室前にて)
略歴
昭和40年3月東京大学医学部医学課を卒業。
1年間のインターンの後、東京大学医学部放射線医学教室に入局し、2年間研修を行う。 昭和43年4月、渡米し、シアトル市スウェディシュメディカルセンタ癌研究所に研修医として、就職。病棟勤務医として医療一般の研修の他、主に症例の多い皮膚癌の切除、縫合等細かい手技を担当していた。
その後の2年で、研修医を終了し、ドイツのエッセン大学医学部助手となる。昭和46年にはニューヨークに戻り、医員(Nassau county Medical Center)として臨床に従事する一方ブルックヘブン国立研究所の客員研究員となり基礎研究にも従事し、またストーニブルック医科大学の講師を併任した。
昭和47年には米国の専門医試験にも合格し、放射線腫瘍学専門医となる。
昭和48年帰国し、東大病院助手として病棟勤務して主に一般的な医療に従事した。
昭和50年には文部教官東京大学講師に就任。内科、外科、小児科のみならず、耳鼻咽喉科、脳外科、皮膚科、婦人科の医師と共同で患者の治療に当たった。
一方、厚生省や文部省の研究班を組織して、大型プロジェクトを指揮した。主に、CT装置による放射線治療の自動制御についてであった。
昭和60年に助教授に昇進。その後はIEC62Cのworking groupやICRUレポート50の起草委員等を勤め、医療の国際基準作りに参加した。
平成3年には科学技術庁放射線医学研究所に移った後も同様な活動を続けた。
平成10年独立する為退職し、「みずほ台クリニック」を開業した。
編集に携わった著書
- 「最新放射線治療」(篠原出版)
- 医学生向けの「標準放射線医学」(医学書院)
- 看護向けの「看護学大辞典」(メヂカルフレンド社)
- 「うちのお医者さん」(主婦と生活社)
- 「日本大百科全書」(小学館)
- 「家庭の医学大百科」(主婦の友社)